人間いつどうなるか分からないから悔いなく生きたい

日記

ついこないだまで冬の寒さだったのに、一気に暖かくなって桜も満開に近づいてきました。

そして同時に花粉症で喉がかゆくなって地味に大変です。

そんな中、ここ1週間で自分の人生の転機のような出来事が続きました。

おじいちゃんが亡くなった

93歳でした。

実家の親によれば、だんだんと体が不自由になってきてこの冬に施設に入所し、3月に入ってからは食事もとれないほど衰弱していたそうで。

だんだん呂律も回らなくなって何を話しているか分からないような状態になっていました。

しかし頭はしっかりしていて、実家の両親・兄との最後の面会ではジェスチャーも使いつつ会話をしていたそうです。

苦しむことなく穏やかに最期を迎えたとのこと。

いわゆる老衰ということで、大往生だなあと思います。

おじいちゃんを振り返ってみる

おじいちゃんは私の母の父親です。

基本的には農家でした。

自分の田畑で一式の野菜や米を作り、90歳ごろまで毎日手入れしていました。

80歳を超えても、10㎏を超えるスイカだって軽々と持ち上げて私の家に持ってきてくれました。

その一方、昔はトラックで運送をしたり、猟師として猟銃を持って山に入ってたりしていたらしいです。

趣味でもカメラ同好会に参加して一眼を持って出かけたり、尺八が吹けたりバイオリンが弾けたり。

動物も好きで、金魚やメダカを譲り受けたり、親戚が飼えなくなった鳥も譲り受けて飼っていました。

おじいちゃんの家には野菜、観賞用の植物、動物、写真が溢れ、とても賑やかでした。

こうやって羅列してみると、本当に多趣味で活動的だったんだなと思います。

おじいちゃんと過ごした時間

おじいちゃんは穏やかな性格で、基本的に怒ったりすることはありませんでした。

むしろ「ほっほっほ」と仙人のように笑うタイプ。

10年ほど前に亡くなったおばあちゃんはすっっっっごく性格がきつくて怖かったので(笑)

おじいちゃんが一緒にいるときはなんだか安心していた気がします。

小さい頃は田畑に連れて行ってもらって、野菜を取らせてもらったりしました。

また、私の実家に毎週野菜を持ってきてくれていたので、おじいちゃんの野菜で育ったといっても過言ではありません。

どの野菜もみずみずしく、甘くて美味しかったな…

そして、私は高校に入ると同時に親からドラムを買ってもらい、おじいちゃんの家に置かせてもらっていました。

実家からおじいちゃんの家まで徒歩5分程度なのでたびたび練習しに行っていました。

練習していると、練習部屋におじいちゃんが入ってきて「ようやるのぉ」と褒めてくれました。

ドラムなんてうるさい楽器を快く置かせてくれたのも、きっと自身の楽器経験からでしょうか。

感謝しかありません。

葬儀で親の変化を感じた

正直言って、私は実家があまり好きではありません(でした)。

幼い頃から両親の中が悪く、暴力はありませんでしたが、家の中の空気がどうも悪いのです。

父が仕事から帰宅する車が見えると、母は「うわ、また帰ってきやがった」とか。

母「うちには父親はいない。大きい長男と兄だけだ。」と聞かされてきました。

また、父も父で話し合いの場を持とうとせず、夕食と風呂以外はほとんど書斎に引きこもっていました。

子供の私は、

どうして話し合いもしないのに陰口しか言わないのか。

言いたいことあれば直接言えばいいのに。

なんで話し合おうとしないのか。

そんなようなことを悶々と心に秘めながら、当たり障りのないように過ごすことで精一杯で。

家の中の空気は重苦しく、ずっと居続けるには厳しかったです。

大学を卒業し、社会人になった瞬間から一人暮らしを勝手に決め、すぐに実家から出ていきました。

そこからずっと、実家(両親、特に母)に対する嫌なイメージしか持つことができませんでした。

今回の葬儀も、おじいちゃんが好きだからしっかりお別れに行くという目的であって、実家に戻ることは「我慢の要素」のような感覚でした。

なんかちょっと変わった?

お通夜や葬儀の合間の時間には、親戚の人たちも控室に集まってきて話したりしていました。

そこで親が話すエピソードを聞いていると…

・おじいちゃんが自宅で動けなくなることが多く、実子である母だけでなく父も協力して何度も助けに行った

・施設に入所してからも、両親一緒に面会に行くなどした

・おじいちゃんが亡くなってからの手続きや行動も両親一緒に協力してやった

・前まで父だけがしていたウォーキングに母も参戦するようになった

・母が好きなテレビ番組を父も見入って、今度そのイベントに2人で行くことになった

あれ????

なんか…思ってたんと違う。

変化を確信した瞬間

控室での会話を聞いて、ふむふむ…と思っていた私。

葬儀がしめやかに行われ、告別式で棺のおじいちゃんにお別れの言葉をかける時間がありました。

喪主である父から始まり、母、兄、私…と順に話しかけ、ちょっと時間が余りました。

その時、

父が母の背中をそっと押し、最後にもう1回話しかけな、と促したのです。

この瞬間を見て、私は、これまでの両親とは違うんだなと確信しました。

自分もちょっと変わった

これまで、実家への苦手意識を持っていた自分。

親の力を借りなくても自分でやっていくんだ!と意気込んで、親からの気遣いの声も荒く跳ね返すような気持ちでいました。

そんな人たちからの気遣いはいらん、というような。

もちろん、これまで自分が苦手意識を持っていたことや、親にかけられたマイナスな言葉で嫌な思いをしたことは消えないし、無理やり消すこともないです。

しかし、これからは「親子生活 第2部」を始めるような感覚で、新しい気持ちで改めて関係を築いていけたらいいなと自然に思うことができました。

そして何より、親も老いました。

交流できる時間はきっとあっという間になくなってしまうでしょう。

この夏くらいは帰省してもいいかなと思いました。

※山の田舎なので冬はスリップするかもしれないので、親から「冬は危ないから来るな」と言われています(笑)

思いが強くなった連絡

おじいちゃんの葬儀を終えて自宅に戻ってきて2日ほど。

おじいちゃんのことが頭に浮かんで涙が溢れそうになりつつも、よし、またがんばろう、と意気込んでいたその頃です。

私含めて3人の地元の友達のLINEグループが動きました。

友達によれば、幼稚園から知っている同級生の子が亡くなったとのこと。

その子のお母さんも我々が中学生の時に病気で亡くなっていて、

その子もお母さんと同じ病気で亡くなったと。

6カ月のお子さんを残して…

体にズギンと衝撃が走りました。

幼稚園のころから知ってるあの子が…自分と同じ年で…

しかも家族を残して…

返信の言葉を紡ぐのに時間がかかりました。


この1週間で身近な人の死を立て続けに経験しました。

人はいつか死ぬ。

でも、生きているうちに会って思いを伝えることはできる。

だからこれから、自分はもちろん周りの大事な人の生きている時間には限りがあると頭に置いて、積極的に会いたいなと感じました。

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